井野場孝一医師へのインタビュー

プロフィール:
井野場 孝一 (Dr. Kouichi Inoba)
青年部会担当役員。日本人として初めてギリシャの医学部を卒業。その後、アテネ赤十字病院にて眼科医専門医課程修了。2012年よりスウェーデンのGävle総合病院に勤務。


Q. ギリシャの医学部へ進学したのは何故ですか?
A. 授業料が無料だったので(笑)

Q. ギリシャでのの医学生時代を教えてください。
まずギリシャ語を学んでからの完全外国語で勉強してたので、大変だったけど、楽しかったね!(詳細略)みんなが知り合いみたいな雰囲気の街だったから、友達もたくさんできたし、ギリシャの雰囲気も楽しめたしね。


Q. 何故眼科医になられたんでしょうか?
A. 初めは違う専門医(外科系)を目指していたんだけど、医学部を卒業した時点で他の研修医と比べて年齢がいってたので、専門医過程が長いのは専門資格を取った後に退職までの期間が短いから難しいだろう、って言われちゃったんだよね。他のオプションを検索て、眼科医に決めたわけ。


Q. 何故ギリシャをスウェーデンは言語も文化もかなり違いますが、何故スウェーデンで医者をすることにしたんでしょうか?
A. スエーデンでは、新参の外国人でもオペをするチャンスがあるからです。ギリシャでもオペをしていましたが、数が少なかったからです。僕はオペが沢山したいほうなので



Q. スウェーデン語を学ぶのは難しかったですか?
A. いや、そんなに難しくなかったかな?スウェーデンの病院に就職が決まった後、ハンガリーのブダペストで三ヶ月間スウェーデン語のクラスを取ったら、それなりに喋れたよ。


Q. ギリシャとスウェーデン、どちらが働きやすいですか?
A. スウェーデン!(笑)
 そもそも文化がかなり違うんだけど、ギリシャは基本的に自己主張が強いから患者さんも色々問題を言う割には医者からのアドバイスは聞かないんだよね。スウェーデンの患者さんはギリシャの人に比べたらかなり静かで、医者の言うことも聞いてくれるからやりがいがあるよ。


Q. 眼科医の仕事は充実してますか?
A. 一般的な眼科医的なことに加えて手術もするので、とっても充実してるよ!一つの病気に対しての新しい治療法や手術方法を比べたりしてて、かなり興味深いね。


井野場先生、ありがとうございました!
インタビューアー:ビュン・アンデルセン エステーラ

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森山医師へのインタビュー

欧州日本人医師会 初代会長 森山隆弘医師 をご紹介しましょう。Dr.Moriyama

Q.ドイツで医学を学ぶことになった経緯は何ですか?
A.12歳のとき偶然見雑誌でハイデルベルグの古城写真を見て、ほれ込み、ここへ行きたいという思いがありました。これが第一印象です。そして14歳のときキリスト教徒になり、ドイツで医学を勉強したいと思いました。麻布中学・高校の近くのにある西ドイツ大使館に行き、西ドイツの日刊紙の住所をいただいて将来ドイツで勉強したいこと、援助してくれる人はいないかという旨を書いた手紙を送り、日刊紙の広告欄へ記載してもらいました。(当時は外国へ送金することがほぼ不可能で、仮にできたとしてもそんなお金はなかったのでこうするしかなかったそうです。)偶然ただ1社が広告を出してくれ、さらにただ1人広告を見た戦後シベリアに戦犯として収容所にいたドイツ人から、当時同じ戦犯であった日本人と非常に親しい経験を持っていたそうで、彼のほうから日本人を助けたいということで返信をいただき、英語で文通を始めました。18,19歳まで続け信頼関係を築きました。日本の医学部時代、夏休みにドイツ語勉強のためにドイツに行くことを親に相談するも反対されたため、親に内緒でパスポートを取り(当時は今と違い1回きりのものしかなかった)、コツコツと貯めた小遣いで当時一番安かったシベリア横断鉄道の“片道切符”で(それしか買えなかったため)ヨーロッパへ入り、ゲーテ協会に入りドイツ語の勉強とアルバイトをしながらドイツのボン大学医学部へ入学しました。

Q.文通の手紙が定期的にドイツから送られてくることに親は何か言わなかったのですか?
A.当時親は英語が読めなかったので、文通の友達からの手紙だというと納得して問題ありませんでした。ただし、その他女の子からの手紙には厳しかったそうです。

Q.大学時代はどうでしたか?
A.1stセメスターは全く分からず困ったものの、2ndセメスターあたりからだんだんわかり始め、徐々に何とかなるようになってきました。当時ドイツの国家試験は口頭試問で14科目を半年間かけて行うので大変でしたが何とか修了することができました。卒業後は仕事を始めてしまうと時間が取れなく博士号が取れないということで、すぐに就職はせず大学に残り、先天性異常の論文を書いて博士号を修得することができました。

Q.いろいろな専門をされていますが、それぞれのきっかけは何ですか?
A.インターンを通った後、初めは内科に興味があったのでないかを選択したものの、内科は自分にあっていないと感じ、外科へ転向しました。手術は楽しかったのですが、その後麻酔科に興味を持ち、その辺りから理論、手術などいろいろと経験しましたが最終的に、父と同様に産婦人科医になり、その後30年間産婦人科医としてDüsseldorfで医院営業。
現在は、遺伝子治療をきっかけに癌免疫治療専門医院を営業しています。

Q.初代欧州日本人医師会の会長ですが、発足にあたってどういう思いがあったのですか?
A.加藤先生、伊原先生とともに2006年Düsseldorfにて欧州日本人医師会を立ち上げました。ロンドン医療センターで勤務していたころ、伊原先生と話している中で、欧州にいる日本人医師は散っていて個々のコネクションがなく、孤立してさみしい思いをしている、ならば彼らのコミュニケーションの場を作ろう、そして個々の経験を共有できたらと、この会を発足するに至りました。

Q.欧州日本人医師会が現在のように大きくなってきたきっかけ、転換期は何ですか?
A.時間が大きいと思います。初めはいろいろと右往左往することもありましたが、インターネットなどを通じて新しい人が増え、徐々に会が大きくなっていき、現在のように活発な活動ができるまでに至りました。

Q.先生の原動力は何ですか?
A.私はキリスト教徒なので全くの楽観的人生観で、どんなことがあっても最終的には神様が助けてくれるという確信があったので、言葉もわからないドイツに飛び込んでも何とかなるだろうという気持ちがありました。これは今でも変わっていません。
また初めからやり直す機会が有ってとしても又同じ人生を送るでしょう。
後悔することはなにもありません。
若い後輩には,他人が希望してくる人生ではなく自分自身の希望する人生を生きろ、と言いたいです。

森山先生どうもありがとうございました。先生のバイタリティ溢れるエピソードはとても興味深く、自分ももっと精進していかなければと改めて感じました。
インタビューワー:大塚文敦 (センメルベイス医科大学)


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太田博昭医師へのインタビュー

太田博昭医師 インタビュー
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太田 博昭  (Dr.Ota Hiroaki)   欧州日本人医師会 副会長
精神医学一般および面接、メール、電話、スカイプ(音声のみ)によるメンタルカウンセリング。1949年生まれ、北海道立札幌医科大学卒業後、同大附属病院精神科分院および道内の公立病院精神科勤務を経て、1984年春、フランス政府給費留学医師として渡仏。主な研究テーマは「海外邦人のカルチャーショック」。このテーマの総まとめとして、1991年、トラベルジャーナル社から「パリ症候群」を出版した。他方、1985年4月以来、今日に至るまで30年以上にわたり、フランス・パリ地区のみならず、欧州全域へ渡航する日本人や国際カップルのメンタルヘルス対策に専心している。パリ在住


Q. 
数ある専門の中から精神科を選んだのはなぜですか。
A.
思春期の頃から医師を志していたのですが、その頃から私は医師といえば精神科医だと考えていました。

Q.
なぜフランスへ行こうと思ったのですか。
A.
フランス(特にパリ)がいかに日本人にとって良く美しく映り、実際に訪れたときにカルチャーショックを起こすかを考えたとき、精神科医として向かうべき場所だと思いました。

Q.
日本とフランスでの仕事/職場の違いはありますか。
A. 日本では休みが少なかったです。フランスでは皆、休暇のために仕事をしていると言えます。休暇の間は病棟を半分閉めたり、救急でも長い待ち時間になります。

Q. 長年フランスに住んで、先生ご自身がフランス人らしくなったと感じることはありますか。
A.
もう31年住んでいますが、専門外来で日本人の方と話す機会も多く、そう感じたことはありません。

Q.
国際結婚の難しさや苦労は何だと思いますか。
A.
カルチャーショック、そしてコミュニケーションの違いだと思います。日本人は気を使うのに対して相手は自己主張が強いので、気疲れも多いと思います。

Q.
フランスでは食べることができない、恋しい日本食はありますか。
A. 「本物の、日本でしか食べられない」蕎麦やうどん、麺類全般です。

Q.
精神科医として働くことの魅力は何ですか。
A.
日本と欧米、異なる文化をそれぞれ持つ患者さんの話を聞くことによって考えの幅が広がる事、そして患者さんの持つ文化に合わせて対話をする事がとても意義深いと思います。

太田先生、ありがとうございました。
インタビュアー: 豊田愛 ワルシャワ医科大学

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スペインの松浦潤子医師へのインタビュー

今回は、当医師会副理事であり、スペインで労働災害認定医として勤務している松浦潤子先生をご紹介致します。

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Q:松浦先生は日本で医学部を出てからスペインに来られた訳ですが、日本とスペインを比較してどうですか。

私は日本で医学部は出ましたけれど、実は日本では医師として一度も働いた事がありません。3月に卒業して、6月にはもうスペインに来ました。ですから、比較はできない、わからないのです。ただ、当時の同級生は今日本で医師として働いている訳ですから、その話しを聞くと、非常にハードな印象を受けます。また出産などすると仕事との両立が難しいようで、私の同級生でも女性は辞めてしまった人もいるようで、それは残念ですね。私はよく「80歳まででも働くよ」と言っているのですが、そういう事を言えるくらい、時間的・エネルギー的な制約がヨーロッパの方が少ないと思います。プライベートと仕事もしっかり分けられています。

Q:今、小さなお子さん二人を抱えて、育児と仕事との両立はどうですか。

自分としては大変ですが、それでも午後3時には終業ですし、給料の安い家庭でもベビーシッターや家事手伝いを頼むのがスタンダードになっていますし、給料は安くても物価も何もかも安いです。だから日本と較べると非常に楽なのだろうと思います。
仕事は朝8時から午後3時までで、月曜から金曜までです。3時何分か前になると、タイムカードを押す器械の前で何人も待っている感じです。年間の休暇は25日で、それ以外にもやむを得ない事情があるとプラス3日です。

ベビーシッターや家事手伝いは外国人が多いですが、外国人が安いからという訳ではなく、スペインのベビーシッター料自体、1時間10ユーロ程度です。就労・滞在ビザが不要な事から大体ヨーロッパ圏内、特にルーマニア人が多く、あとは矢張りスペイン語ができるのでラテンアメリカ人が多いです。午前中普通の正規の勤務をして、午後お小遣い稼ぎにやっている人もいれば、メインでやっている人もいます。また、最近ブームになっているのは、イギリス人や中国人のベビーシッターに来てもらって、子ども達と英語や中国語で話してもらうという言語教育です。子どもを保育園にやらず、9時から5時まで家にベビーシッターに来てもらうというのも、中流以上の家庭では結構普通にあります。
余談ですが、スペインでは40歳以下なら不妊治療も無料で、不妊治療についてもかなりオープンに話されています。あと、高齢出産へのハードルも低いです。

Q:スペインで医師として働き始めて、驚いた事は何ですか。

スペインの職場では女性が強いです!
女医さんの率がとても高く、例えば私は家庭医の研修を3年間したのですが、その時の同僚12人は全員女性でした。また、スペインで最初1年間、スペインの医師国家試験準備コースに通ったのですが、それもクラス全員女性でした。まあ「そういうクラスに真面目に来るのは女性なんだ」という事も言われましたが、それにしても多いですよね。今の私の同僚は、医学部生の70-80%が女性だったと言っています。私のボスも女性です。
でもそれは最近の事で、今の60代位の世代だとまだ男性医師が殆どという時代で、例えば私の姑も医師(呼吸器科医)なのですが、医学部で彼女は紅一点だったそうです。因みに彼女も働きながら4人の子どもを育てました。

Q:そもそも、何故スペインにいらしたのですか。

スペインには女友達と3人で春休みに旅行に来て、気に入って、その後日本に帰国してから丁度4月ということで、スペイン語ラジオ講座などを聴き始めて、はまりました。スペイン自体の魅力に加えて、猫も杓子も英語をやるということへの反抗心や、スペインには日本人医師は皆無と聞いて、それなら是非、私がその第一号になる!という燃え盛る野心などの様々な副要素が絡んで、更にスペイン熱が高まったな、と思いますね。まあ、若かったですし。

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Q:松浦先生は囲碁の有段者で、ご主人とも囲碁を通じてお知り合いになったとか。何段でいらっしゃいますか。

囲碁はここ数年ろくに打っていませんが、日本の実家に帰省した際には、田舎の碁会所ですが4段で打たせて頂きました。まあ、こんなもんかなと思っております。 囲碁は、20代のころに好きだった人がちょっと熱心にやっているのに興味を惹かれて始めたのですが、そのルールの単純さの裏にある奥深さと面白さにすっかりはまってしまい、わたしの大学時代の後半は、スペイン語と囲碁の勉強に費やされたようなものです。たとえその人とは終わっても、囲碁への愛の方は一生不変だろうな・・・としみじみ思ったものでした。ははは。

(どうも有難うございました。写真は囲碁ガールの松浦先生です。)

インタビュー by フライク幸子 青年部医師
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中川フェールベルク美智子医師へのインタビュー

今回は当医師会総務担当理事であり、ドイツのデュッセルドルフで産婦人科医をしている、中川フェールベルク美智子先生をご紹介致します。

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Q:中川先生は日本で働いた後ドイツに来て働いておられますが、日本とドイツでの医師としての生活を比較すると、どうでしょうか。

日本で産婦人科医としては矢張り24時間365日体制に近い感じでしたが、ドイツではどんなに凄いスケジュールでやっていらっしゃるプロフェッサーでも年に6週間くらい、きっちり休暇をとられます。日本ではそういう事はちょっと考えられない。「一旦仕事となればもうそれだけの世界、それ以外の世界はない」みたいな感じで、先輩の先生方を見ていてもやっぱりそうだったと思います。まあ今は大分変わってきているのかも知れませんが、当時においては、そういう違いが大きかった。
ドイツでは趣味の生活というものを一人一人ちゃんと持っていらっしゃる方が多いのですが、日本では趣味なんてない、そんな事をやっている暇もない、という生活が殆どだったと思います。
育児と仕事の両立の問題も、ドイツに来た理由の一つでした。子どもがまだ全員家にいてごちゃごちゃしていた頃は 家では家事と必要な子どもの世話で追われ、週二回の仕事は、そこから抜け出ての息抜きの時だったようにも思います。

Q:産婦人科を選んだ理由は何ですか。

私は、医者としてどうというより、女性としてどう生きるべきか、という観点がとても強く、そういう意味で専門といったら女性、他の女性を助けたいという程大きな事は言えませんが、とにかく私にとって魅力的な科でした。ただ、日本の学生時代の産婦人科のプロフェッサーは余り魅力的な方ではなく、だからどうしようかと迷いましたが、それは日本の一つの大学の一つの科という狭い世界の事ですから、矢張り産婦人科以外の科は考えられませんでした。あと、お産というものに接する事で、「うわあ、凄い!」という体のメカニズムや人の体の中に持っている潜在的な力、そして生まれるという感動などに触れ、気持ちがお産の方にどんどん強く惹かれていきました。最初の4年間は一応、一般内科でやったのですが、慢性病が中心で、自分が医者としてできる事への喜びが産婦人科よりも少なく、「やっぱり産婦人科」という事になりました。

Q:お子さんは5人おられるとか。

はい。今28歳から18歳です。一人目は日本、二人目はアメリカで生まれ、三人目からドイツです。

Q:三か国でお産を体験されたのですね!お産はどの国がどうよかったですか。

産後の入院生活に関しては やはり日本がいいですね。決め細やかなサービスと配慮があります。
お産に関しては、ドイツのシステムはいいですね。どんな人もいつでも受け入れ、基本は自然にでありながら、緊急のときは対処できる。日本もいずれそうならないといけないと思いますが。

Q:ドイツで医師として働き始めて、特に大変だった事は何ですか。

私は殆ど総合病院では働かずにすぐ開業医院での勤務になりましたので、病院には時々顔を出した程度だったのですが、その時に一番驚いたのは、日本では研修医であってもそれなりのステータスがあるのですが、ドイツでは勤務している医療スタッフの中でもとにかく一番下の扱いを受けて、あ、ドイツではこうなんだ、と。また、例えば最初に「血圧を測りなさい」と言われて測ろうと思ったら、え?測れない!となり、何故私はこの器械を扱えないのだろうと思ってよく見たら、血圧計の仕様が違っていてネジのつき方が日本とは逆だった。
一つ一つは小さな事ばかりですが、そういうカルチャーショックのようなものは幾つも経験しました。ただ、当時小さな子どもも家にいて、フルタイムでの病院勤務は全く無理でしたので、半分見学のようなかたちで一線を置いて経験させてもらえたので、よかったです。あと、非常にラッキーだったのは、開業医の先生と知り合って、自分がスーパーバイザーになってあげるから、うちでやってみるかという事を言ってもらえ、開業医院で主に日本人の患者さん相手に、こうして始める事ができた事です。
日本の医師免許からドイツの医師免許への道はとても大変で、もう医師として働く事を諦めかけた時期もあったのですが、夫が諦めなかった事と、日本で専門医までやっていた経験があったので、こうして働く事ができるようになりました。

Q:ドイツで医師としての今の生活には満足されていますか。

はい、満足しています。私の場合はラッキーにもデュッセルドルフに大きな日本人社会があり 私の経験も踏まえて日本人の方をお世話できますので。
ただ逆に、今でも半分日本人社会で生きているようなもので、まだドイツを充分に知る事ができていない、あるいは経験していない気がします。今は子どもたちも大きくなってほぼ自立してきていますので、その時期を過ぎてきたのですが、ドイツの社会も充分に知らない親で、子どもたちに行くべき方向ややるべき事など充分にサポートしてあげられなかった思いがあります。

(どうも有難うございました。写真はご家族近影です。)

インタビュー by フライク幸子 青年部医師 Read More…